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オリンピックの直前に国旗が変わる国も

オリンピックは国旗が注目される一大イベントです。ですから、その機会に世界にPRしようとばかり、大会直前に国旗が変わるということも珍しくないのです。

1996年の近代オリンピック創設100周年記念五輪大会は、第一回大会の開催地アテネでが有力視されていましたが、決戦投票でアトランタ(米)に決まりました。これには、五輪の最古・最大・最長期間のスポンサーであるコカコーラの本社がアトランタにあることが大きな背景になったといわれています。コカコーラは28年のアムステルダム五輪で史上初の五輪公式スポンサーとなり、コークが関係者に配られて人気を博しました。爾来、オリンピックと言えばコーク。「飲むとクセになる」といわれるコークらしい話です。

そのアトランタ五輪の9日目の7月27日、五輪記念公園で爆破事件が発生。2名が死亡、111名が負傷という、1972年のミュンヘン五輪(イスラエルのアスリート11名が死亡)以来の惨事が発生しました。

これに先立つ7月19日の開会式では往年「蝶のように舞い、蟻のように刺す」といわれたモハメド・アリ(1942~、旧名カシアス・クレイ)が聖火の点火者となりました。その瞬間まで誰が聖火台に火をともすか秘密とされていたのですが、なんとこの人だったのです。往年の雄姿ではなくリハビリを重ね、ようやくここまで来たという姿で、思わず胸キュンでした。

どこかの国で国旗が変更になるという情報は、内外のメディアはもちろん、各国の国旗研究者仲間からのメールもあれば、外務省や当該大使館から教わることもあります。また、オリンピックやW杯の映像を注目して知り、確認することもあります。

しかし、なぜか1996年2月のエチオピア国旗の変更は気づきませんでした。「えっ!」と驚いたのはアトランタ五輪の開会式の日(7月19日)の選手団の行進をテレビ中継で見たときでした。映像はすぐ変わりましたが、確認できたのは最終日、7月26日の女子マラソンの時でした。エチオピアのファツマ・ロパが2時間26分05秒で優勝したのですが、途中で、その国籍を示す国旗が大きく映ったからでした。私にはエチオピア国旗のことしか頭にありませんでした。それまでの横三色旗にソロモンの星が加わっていたのでした。


1996年2月6日に変更になった現在のエチオピア国旗

男子のマラソン競技は南アのチュグワネが優勝しましたが、わずか3秒差の2時間12分36秒の記録で韓国の李鳳柱(イボンジュ)をおさえるというデッドヒートでした。

ハイレ・セラシエ皇帝の時代(在位1930~72)のエチオピア国旗には王冠を被ったライオンや王冠を取り外したライオンが中央についていましたが、ほとんどの場合、三色だけの国旗でした。1960年に裸足のマラソンランナーとしてローマ五輪を制覇し、そのまま64年の東京五輪と2連勝したのが、この国のアベラ・ビキラでした。その時の表彰式で掲げたのも、三色だけの国旗でした。

東京大会で優勝した直後に、私は表彰式で掲げた大きな国旗をアベベ選手に進呈しました。

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