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赤に染めるのは世界各地で古代からできた

誉田(こんだ)八幡宮(大阪府羽曳野市))縁起資料に神功(じんぐう)皇后(?~269、仲哀(ちゅうあい)天皇の后)が後の応神天皇を出産したとき、赤と白の幡(はた)が天から4枚ずつ舞い降り、皇后の体を覆ったという有名な記事があります。全国にある八幡神社の由来です。

このように古来、赤と白の旗が多いのは、よく目立つという旗本来の使命とともに、染料が容易に入手できたことが大きな理由かと思われます。日本では古くから紅花(べにばな)で染めていました。今、紅花はほとんど山形県でしか生産していませんが、エジプト原産のキク科ベニバナ属のこの花はシルクロードを通り、南北朝時代の中国から百済を経て5世紀ころには日本に入り、呉(くれ)藍(あい)と呼ばれていました。雅称を末摘(すえつむ)花(はな)と呼び、『源氏物語』54帖の第6帖に出てきます。末摘花は美人ではないながらも生涯、光源氏と関り続けた女性の一人であり、末摘花という呼称は光源氏がこの女性につけたあだ名で、その女性の「鼻が紅い」ことと紅花の「花が紅い」ことをかけたものだそうです。

そのくらい古来、この花はポピュラーであり大事にされてきました。紫式部の時代には今の千葉県長南町(ちょうなんまち・房総半島を東西に分ける丘陵地帯)で盛んに栽培され、江戸時代中期以降は今の山形県最上(もがみ)地方や埼玉県桶川(おけがわ)市、上尾(あげお)市周辺などで盛んになりました。しかし、明治時代以降、中国産の紅花が大いに輸入され、次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したことから、こうした紅花の生産は急速に衰退してしまいました。現在では紅花染めや観光用などに特別に栽培されているだけですが、紅花は山形県の県花であり、長南町では桜とともに町花になっています。

要するに、紅花があったので、古来、日本では「日の丸」が染めやすかったのす。ほかにもインドやマレー原産のマメ科の染料植物である蘇芳(すおう)(『今昔物語』では血の色と表現されている)やエジプトやインドでも古来用いられ、『古事記』や『万葉集』に茜(あかね)を詠んだ歌(額田王(ぬかだのおおきみ)の恋歌など)があるほど古くから日本でも用いられていた茜も、特に絹を染めるために使用されてきました。

ブラジルの国号は、ヨーロッパで染料として用いられたインド原産の蘇芳のポルトガル名によるものです。心材から赤い色素ブラジリンが得られ、これがかつてはブラジルの主産品だったのですが、化学染料の発達で潰えました。しかし、材質が硬く、現在もヴァイオリン用をはじめ弦楽器の弓するのに最高だとして用いられています。1540年にポルトガル人によって報告されていますから、国号になったのも無理はないようです。japanが漆器だったり、chinaが陶器という類(たぐい)なのかなと思います。

ですから、平家の赤旗でも見られるように、我が国では布を赤で染めるのは比較的容易だったとみていいし、それゆえ、「日の丸」も明治初年から大量に生産できたとみることができるでしょう。

それにしても、日本ばかりではなく、伝統のある国旗の多くが赤と白です。デンマーク、オーストリア、トルコ、イングランド、インドネシアといったところでしょうか。

なお、中国では「赤」はpureの意味が強く、同様に日本語でも赤誠、赤ん坊、まっ赤な嘘…などとpureの意味に用いられます。中国やベトナムでは赤十字を「紅十字」と呼びます。Redを指すにはこの言葉なのでしょう。赤旗も紅旗ですから、国旗も「五星紅旗」となります。もっとも城一夫監修『色で巡る日本と世界』によれば、中国では成功することは「紅運」、信頼されている人は「紅人」、男女を問わず美しい人は「紅顔」…「紅」は縁起のいい色のようです。

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