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アフリカ諸国の国旗を眺めてみると

1960年前後、アフリカでは多くの国が独立しました。当時の米誌「TIME」はその国旗を並べながら、これを祝福しつつも将来を心配する記事を掲載しました。

下段中央がガボンです。この国で長年医療活動を展開し、1958年にノーベル平和賞を授与されたアルベール・シュバイツァーの著書『水と原生林のはざまにて』から国旗の緑(原生林)、黄(国土)、青(水)の色を採ったというガボンの横三色旗は、政治的、経済(GDPの3分の1以上が原油)的にアフリカで最も落ち着いた国らしく、国旗も変わることなく今日まで続いている。

カメルーンは第一次世界大戦までは帝政ドイツの領土でした。それが仏領と英領に分かれ、1960年に独立した時には「TIME」の絵の旗でしたが、翌年、2つの地域の宥和を図って、国旗には緑の部分に2つ星を縦に並べました。それが75年になって、中央に黄色い星1つとなり、国の統一を象徴するデザインになったのです。

ナイジェリアの緑白緑の国旗は、コンペで当時の大学生の作品に決まったものですが、デザインしたアキンクユニ氏はもうイバダン大学の教授を退任するころでしょうか。

この国では60年代の後半にビアフラが分離うを企て、悲惨な戦争となりましたが、今はアフリカ最大の人口を持つ産油国として、イスラム系テロ組織ボコ・ハラムと戦いつつ、国家立て直しの苦労を強いられています。

ダオメは一時(1975~90)社会主義政権の時代があり、緑地に赤い星1つという国旗の時代もありましたが、いまでは国名をベナンとし、独立時の国旗に戻りました。但し、この「TIME」誌の図はやや不正確で、緑の部分の横幅は国旗全体の横幅の5分の2というのが正しいのです。

左側の上から3つ、モーリタニア、セネガル、コートジボアール、トーゴの国旗は変わっていません。コートジボアールはかつては日本語では象牙海岸、英語ではアイボリーコーストと呼ばれていましたが、今の日本では仏語に基づくコートジボアールに統一して表記しています。この国旗はオレンジと緑が入れ替わるとアイルランドの国旗になり、間違いやすいです。これもまた今も昔も同じです。

人像を描いたマリの元国旗

黒人と混血人のベリース国旗

福祉・平和・繁栄を象徴する手を描いたブルネイの国旗

「TIME」誌の上段左から2つめ、人像(カナガ)のついたマリの国旗が採択された時は、これまでの国旗の歴史にない発想に大いに驚きました。しかし、マリは同じ黒人国家同志としてセネガルとの連邦国家をつくったのですがうまくゆかず、1961年3月には国旗からカナガは取り除かれました。ついでに言うなら、国旗に人間が登場するのは、現在の旗では中米のベリーズと日本の南にあるブルネイ(両手のみ)のみです。

マダガスカルの国旗

「TIME」の記事は最後にマダガスカルの高官の言として、「こんなにも多くの国がほど同時に独立するので、我が国は国旗のデザインで困ってしまった」と緑、白、赤の3色で他に類例のない色の配置を考えたんだと結んでいます。むべなるかな、さもありなんと思いつつ、どうやらそれは高官のジョークのようで、白と赤の配色は、インドネシアと同じルーツを持つとされるマダガスカルのメリナ 王国時代の旗に由来することがその後、判りました。それは今のインドネシアの国旗を逆さにした、白と赤の横二色旗。すなわちポーランドの国旗と同じものであったのです。インド洋を挟んで、マダガスカルとインドネシアはなるほど対岸の国なのですね。いささか不謹慎かもしれませんが、東日本大震災の遺品がアメリカにたどり着いたという報道を思い出してしまいました。

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