オリンピックまでに国旗に親しもう
国旗についてのお話
STORY

ヒマラヤ登頂者は自国旗とネパールの国旗を振りかざす

少なくとも筆者の世代の多くは、ファミリー・ネームとしてのヒラリー、すなわち、サー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary、1919~2008)を思い出すのではないでしょうか。こちらは英連邦のニュージーランド出身の登山家であり、南極点までブルドーザーで達したといった冒険家です。世界各地で多くの高山に登った後、1953年5月29日午前11時半、世界最高峰のエベレスト(チベット語でチョモランマ、標高ネパール語でサガルマータ。8848メートル)に、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに初登頂に成功しました。その偉業をたたえ、ニュージーランドでは、存命中からの銀行券5ドル紙幣に肖像が印刷されていました。

この時、山頂に掲げられたのは、英国旗「ユニオン・ジャック」とネパールの国旗。(たぶん紅顔の美少年だった)筆者は大感激し、ニュース映画や紙誌の報道に夢中になりました。学校の掲示板に張られた写真にいつまでも眺め入ったことが今でも忘れられません。


1975年、女性でエベレスト世界初登頂を果たした田部井淳子さん。
ネパールの国旗を山頂に立て、「日の丸」を手に持っています。

当時のネパールの国旗は基本的には今と変わらない三角形を2つ重ねたような形でしたが、太陽と月の中にマンガのように顔かたちが描かれていたのでした。1962年に制定した初の憲法の付属文書で、幾何学的作図法によって国旗を規定、目や眉など、幾何学的には表現できなかったからでしょうか、顔かたちが消えてしまいました。

信じられないでしょうが、このころの私は世界の国旗はともかく、山登りに夢中でした。小学校の担任である川井昇先生、中学1年の時の藤原立宏先生は、ともに理科の先生でしたが、私たち児童・生徒をとてもかわいがってくださり、乳頭山(1475メートル)、八幡平(1613メートル)、鳥海山(2236メートル)などに有志を引率してくれました。両先生がそうだったかは知りませんが、私たちはヒラリーがなした人類初のエベレスト登頂にすっかり感じ入っていましたから、こうした山登りがいつの日かのヒマラヤ登山につながる練習のような気分で、夢を語り合ったものでした。

それはともかく、ヒラリーらの初登頂から3年にして、1956年5月9日、槙 有恒ら12人の日本山岳会隊が世界第8位の高峰で未踏峰のマナスル(8163メートル)に挑戦、今西壽雄とシェルパのギャルツェン・ノルブが初登頂に成功しました。今度は、われらの「日の丸」がネパールの国旗とともにヒマラヤの山頂に翻ったのでした。

ネパールの国旗の赤は、同国の国花シャクナゲの色であり、国民の勇敢さを、青は平和を表しているとされています。そして2つの三角形はヒマラヤを象徴しつつ、二大宗教であるヒンドゥー教とラマ教をあらわしています。月と太陽はこの国が月や太陽のように永続し、発展するようにという思いを託したものです。

不遜ではありますが、この歴史的にも世界に知られた、かつ、唯一の三角形が基本という国旗は、筆者にとってはネパールの政局よりも気になるのですが…。ここまで言うのは不謹慎ですよね。


ネパールの国旗憲法で厳格に作図法を規定している。

1962年までの国旗はこんな感じのデザインだった。

しかし、その後も安定した政権も議会も出来ないまま、混沌とした政治状況が今日なお続いており、この特徴あるネパールの国旗は依然、変更には至っておりません。15年4月25日には大地震に襲われ、国旗を新たに制定する暇もない混乱が続いている状況なのでしょう。これからもこの国をフォローし、いつ国旗が変わっても驚かない状況に注目しつつ、対応したいと思います。