オリンピックまでに国旗に親しもう
国旗についてのお話
STORY

国旗としてはほとんど跡形もなく消えたソ連だが

合体もあれば分離もあるのが世の常。ソ連は民族も宗教も様々な2億9千万人もが暮らす15の共和国から成っていました。1991年12月25日、その構成国中、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン4構成国首脳が「連邦からの離脱」を決めて、15の国にに分離したのです。最大のロシアでも人口はソ連の半分以下になり、日本より1割多いくらいになり、面積は日本の45倍(ソ連時代は60倍)ほどになりました。

15の共和国はそれぞれソ連時代の鎚と鋤と星という赤旗とは似ても似つかないデザインの国旗を採択しました。例外はベラルーシ。白赤白の横三色旗を採用したのですが、95年にソ連時代の白ロシア国旗から鎚と鋤と星を取り除いたものに戻し、その後、絨毯模様に少し修正を加えました。

ソ連はアメリカを中心とする「西側」に対抗し、東西冷戦の「東」の超大国であり、その崩壊は20世紀最大ともいわれる歴史的事件でした。帝政ロシアを倒した「ロシア革命」から74年間の社会主義による壮大な社会実験が終わったともいえましょう。その間は共産党の一党支配でした。特に、グルジア(現ジョージア)出身の独裁者スターリンの時代には、第二次世界大戦において勝者とはなったものの、2000万人もの戦争犠牲者のほか、数知れない死者を出す国民への弾圧が行われました。そして、今も、社会主義を標榜し、共産党ないし労働党等名前は別でも実態の変わらない一党独裁を続け、人権と自由を抑圧している国々があります。中国をはじめとするいくつかの国のことです。モンゴルとアルバニアは国旗から星を取り除きましたが、中国とベトナムは依然、そのままです。北朝鮮は赤い星です。「世界の5大陸を共産主義で覆う理想」がこれらの国旗には残っているということです。

ソ連崩壊の理由はいくつかあるでしょう。国が管理する「計画経済」が官僚主義と非効率を招いて行きづまり、巨額の軍事費も負担となって米国と核軍縮の交渉を進めざるを得なくなったこと、軍事やイデオロギーに偏ったソ連外交の転換を図ったゴルバチョフ大統領の「新思考」外交が89年の冷戦終結につながり、東欧での革命を促したこと、それがソ連の民族自立の動きに跳ね返ったこと、軍事優先で国民生活の向上を図れなかったこと、民主主義を掲げても実態が伴わない秘密警察国家になってしまったことなどが挙げられるでしょう。こう書くといかにも訳知りのようですが、実は私は東欧圏が次々にソ連から離れる1990年初頭になってもまさかソ連が崩壊するとは思いませんでした。88年秋、ソ連研究の第一人者であるフランスのエレーヌ・カレーヌ・ダンコース女史をお招きし、大津市でシンポジウムをした時も、司会者である私は新幹線の中で、この人が「そう遠くないうちにソ連を構成する連邦加盟国が次々と離脱を図り、ソ連が崩壊する」と説くのですが、「まさか…unbelievable」と答えていました。不明を恥じいる次第です。

ソ連の解体を進めたエリツィン氏(新生ロシアの初代大統領)らは、独立国家共同体(CIS)を設けて急ソ連構成諸国との絆を保とうとしました。実際、エネルギーについてはロシアやアゼルバイジャンは産油国ですが、他の多くは石油も天然ガスも輸入せざるを得ません。綿花を栽培する国、紡績をする国、布地にする国は互いの連携がなくては成り立ちにくい経済構造になっています。他国に移住した人たちもたくさんいて、母国が外国になってしまった人も大勢いるわけです。

それが、ソ連の崩壊で、スターリンの時代にソ連に併合を余儀なくされたエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国は、いまや「西側」の欧州連合(EU)のメンバーになるほどロシアから離反し、親欧米政権のグルジア(現・ジョージア)とロシアは2008年になってついに戦火を交えるほどの関係になり、CISから脱退しました。そして逆にEUや北大西洋条約機構(NATO)に加盟を求めています。これに対してロシアはグルジアに対し、経済制裁を行い、スターリンご愛飲と言われたグルジアの赤ワイン・キンズマラウリ(血のような色の甘口ワイン)はモスクワの飲食店やバーにはありません。

グルジアの国旗は伝説に基づく「聖ゲオルギオス(ジョージ)」の十字。「宗教はアヘンなり」とまで言われたソ連から分離したとはいえ、NATO入りさえ目指す、いかにもグルジアらしい国旗です。

グルジアでは1999年に、現在の国旗への移行が可決されたのですが、当時のエドゥアルド・シェワルナゼ大統領(元ソ連外相)の反対にあい実現しませんでした。しかし、「バラ革命」で同大統領を追放し、サアカシュヴィリ新大統領が誕生した直後の、04年1月14日、議会はこのデザインの国旗を再可決しました。ソ連発足時を除き、約500年ぶりにこの旗が復活したのでした。しかし、筆者にはこの赤が、長い歴史の中での幾度か繰り返された悲劇の犠牲者の血に見え、平和を祈らざるを得ません。間違えても、キンズマラウリの色などとは申しません。