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国の混乱が治まれば国旗も安定か イラク

2008年2月末に、大阪在住の旧知の女性国旗研究家から、イラク国旗が変更になったのかとお電話でお問い合わせをいただきました。

イラクの国旗はここ30年ほどで最も多く変更になった国旗の1つです。湾岸戦争のとき、すなわち、1991年1月までは、赤白黒の横三色旗の中央に、緑の3つ星という、いかにもイスラムの国であり、アラブの統一を目指しているというデザイン(エジプトはじめ周辺諸国と似たデザイン)でした。

ところが、このときの敗戦で、サダム・フセイン大統領は国民のいっそうの奮起と団結を呼びかけ、自らアラビア語でタクビールと呼ぶ「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と国旗に書き加えました。

ご承知のように、同大統領は2003年3月19日からのイラク戦争でアメリカを中心とする多国籍軍に再び敗れ、隠れ家が発見され、08年12月30日に「処刑」されました。そこで、同大統領が書いた文字をそのまま使うわけにゆかず、活字の文字が使用されるようになりました。


1921年の独立以来の国旗。
王政時代のイラク国旗。
王朝の近さからヨルダン国旗と酷似した図柄。

1959年、カーシム将軍による革命で王政を打倒した時の国旗。
黄色はクルド族を示す。

1963年からのバース党政権時代のイラク国旗

91年、湾岸戦争で敗れた時、サダム・フセイン大統領は直筆で「アッラーは偉大なり」と書き加えた。

2004年、イラク戦争敗戦後、文字をアラビア語クーフィー体の活字に修正した。

2008年、議会は3つの星を削除し、1年以内に再検討するとしたものの、現在もこの図柄の旗を国旗としている。

2003年のイラク戦争によるフセイン政権崩壊後はタクビール文言(右から左に読む)が入っていないデザインのもの(1963年制定の国旗)が使われていましたが、統治評議会により、04年6月28日のイラク暫定政権樹立式典で3つの星だけのものにしました。しかし、神を称えるタクビールを削除したことには批判が大きく、1991年の湾岸戦争後に制定したこの文言が入った国旗に戻しました。

イラク国民議会は2008年1月21日、国旗を変更しました。それまでの国旗の中央に並んでいた緑色の3つの星が削除されたのです。また、「アッラーは偉大なり」と記述した文字の字体を変えたのです。

そこで早速、アラビア語と中東問題に精通している畏友・佐々木良昭東京財団主任研究員に訊きました。「これは古くから用いられた字体であり、今は宣伝媒体など目立つ場所で使うアラビア文字で、クーフィー体(南部のクーファで開発された縦横とも太い線)という字体です」。このほか、まるで漢字にいろいろな書体があるように、『コーラン(クァラーン)』を筆写するために開発されたナスビー書体(最も標準でしばしば印刷用活字体としても用いられる書体)、芸術性の高く大きな文字に適するスルス書体などいろいろあり、法律で国旗の字体を決めているわけではなく、国旗の文字にはある程度あいまいな部分もあることも判りました。この時の変更はサダム・フセイン前大統領のイメージを消すことに主眼があったといえましょう。これまでの旗の3つの星は、「統一」「自由」「社会主義」という、同大統領が率いたバース党のイデオロギーを表すものであったので、これで、バース党のイメージはイラク国旗から消されたことになります。

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