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東京五輪直後に国旗を変えたカナダ

東京五輪終了の3カ月足らずでカナダの国旗が全面的に変わりました。


64年の東京オリンピック当時のカナダの国旗。
イングランド、スコットランド、アイルランド、フランスの紋章とカナダの楓の3枚葉。

65年2月15日からのカナダの国旗。
両側の赤は太平洋と大西洋を表す。カエデは秋、カナダ南東部で全山を真っ赤に覆う。

ケベックやモントリオールなどのあるケベック州ではフランス系の住民が多数を占め、国民がそれまでの英国色の強い国旗のデザインの変更を求めた結果です。

ところが、その2年後に大変な“事件”が起きました。1967年7月24日、万博視察のためにモントリオールを訪問したフランスのシャルル・ド・ゴール大統領が市庁舎のバルコニーから身を乗り出して演説し、それまでよりもゆったりとした口調で、声を大きくし、「Vive le Québec libre(自由ケベック万歳)!」と繰り返し、そして最後には「ケベック万歳…自由な! 万歳、万歳、フランス人のカナダ万歳! そしてフランス万歳! 」と絶叫したのです。これに応えるように、ド・ゴールがバルコニーから去った後には群衆が「自由ケベック万歳! 」と繰り返し叫びました。

時のカナダ首相レスター・ピアソンはこの演説に反発して「カナダ人は解放される必要などない! カナダの人々は自由である。カナダのすべての州は自由である。カナダ人は解放される必要などない! 実際、何千人にも及ぶカナダ人が二度にわたる世界大戦においてフランスや他のヨーロッパの国々の解放のために命を捧げている。この貢献に対する見返りが領土保全を脅かす明白な内政干渉であったことに強い憤りを覚える」と抗議しました。

自らフランス系である時のカナダの法務大臣ピエール・トルドー(のちの首相)は「カナダの首相が(フランス北西部の)ブルターニュを英国(ブリテン)人に」と叫んだらフランス側がどう反応するかとまで、公の場で言及しました。

国旗の変更もそうですが、現在のカナダは全土で英仏両語をあらゆる場面で使用するというほど、英仏系の宥和に気を使っています。例えば、駐日カナダ大使館でもtoiletという同じ単語を上下に書いて表示しています。これなど同じ単語の場合は読む人がトイレットと読もうがトワレと読もうがいいわけで、思わず苦笑してしまいました。かくも両語を対等に併記することをはじめさまざまな融和策が講じられ、国家が分離する騒ぎは収まっている感じです。それでも、フランスとカナダとの違和感は今日でも完全に解消したとは言えないように思います。ですから、レセプションなどでは日本からの大使も、駐日カナダ大使も英仏両語を交えて挨拶する習慣になっています。

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