第5章 鎖国時代の外国旗研究 – 国は閉ざせど懸命な情報収集– category –
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第5章 鎖国時代の外国旗研究 - 国は閉ざせど懸命な情報収集
幕末の津山は洋学の中心地
2012年2月8日、岡山県津山市を訪ねました。夜の津山の暗さは東京に狎れた私の眼には寂しいを超え、怖いほどでした。翌朝9時に、洋学資料館の下山純正館長がお待ちくださるということなので、宿舎を出ずに、ホテルの「珈琲」(榕菴が考案した当て字)を口に... -
第5章 鎖国時代の外国旗研究 - 国は閉ざせど懸命な情報収集
攘夷論渦巻く中での外国旗研究が水戸藩で
茨城県立歴史館の石井裕学芸員にご指導いただいた内容をもとにして鱸重時(奉卿)に焦点を合わせて、ペリー来航当時の国旗研究について、述べてみたいと思います。 重時は天保14(1843)年、28歳くらいでしょうか、「弘道館勤」となりました。同じ年、後に... -
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幕末には多数の『世界の国旗』が刊行
18世紀の終わり頃、すなわちフランス革命の頃から、日本は激しい外圧にさらされます。 教科書にも出てくる大きな出来事を列挙してみましょう。 1792年、ラクスマン(露)、根室へ 1804年、レザノフ(露)、長崎へ 1808年、英国船フェートン号オランダの国... -
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「近代科学の生みの親」宇田川榕菴も国旗を紹介
宇田川榕菴(ようあん・1798~1846)は江戸時代後期の著名な蘭学者、「日本における近代科学の生みの親」といわれている人です。大垣藩医・江沢養樹の長男として生まれ、1811年に津山藩医・宇田川玄真の養子となりました。17年に津山藩医となり、26年には... -
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最初に外国旗に触れた松浦静山
鎖国というといかにも縮こまって海外とは無関係に過ごしていたかのような印象ですが、国旗1つをとっても、よくぞこんなに調べていたのかというくらい、盛んに情報を仕入れていました。 松浦静山(まつらせいざん・本名は清。静山は号。1760~1841)が随筆...
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