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南太平洋でもミネルバ共和「国」が

目を転じましょう。ミネルバ共和「国」はトンガの東南400キロメートルほどにある南北2つの岩礁で、建「国」したのはリトアニア出身のユダヤ系米国人マイケル・オリバー。1971年、フィジーから運び込んだ土で、常時海面上に顔を出す160ヘクタールの「国土」の確保を図る工事を始め、翌年1月19日にミネルバ共和「国」の独立を宣言したのです。

岩礁はいずれも水面から1~2メートルの高さにすぎません。中央部は礁湖で満潮時には海面下に没するという場所です。そのためここで座礁する船は数知れず、「国」名は1829年に座礁した捕鯨船に由来するものです。

1960年には日本の漁船が座礁し、62年にはトンガからニュージーランドへ向かうボクサーたちを乗せたトゥアイカエパウ号が座礁しました。この時は乗員乗客17人が3ヵ月も岩礁に取り残され、結局、筏を組んで1週間がかりでフィジーへ脱出したと いう話が伝わっています。ミネルバ共和「国」では警察の設置が準備され、モリスC.デイビスを大統領に選出し記念切手やコインも発行されました。

周辺諸国が対応を協議し、トンガの漁師がミネルバの岩礁を利用したことがあるという故事を持ち出し、トンガの領有権を認めようということになり、6月に、トンガの軍人数人と囚人20人 を乗せた船が島に上陸し、ミネルバの国旗を引きずりおろして一時占拠したのです。デイビス大統領はさっそくトンガで王様との会見を求めて拒否されたのですが、王様も自らヨットに乗って、自国の軍人らによるミネルバ上陸の様子を見物していたようです。一方、ミネルバ岩礁を巡っては、フィジーが再び領有権を主張して 2005年に国連海洋機構へ提訴。トンガが反論すれば、ミネルバ公「国」も提訴したりで、未だにゴタゴタが続いているようです。

要するに、家族や小さな仲間で建国しようと「国」旗をつくるいうことはできても、継続的な国家の運営はほとんど不可能であり。それを国際社会の承認を受けるのはまずできない相談であるということなのです。

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