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さまざまな国旗が登場した中国大陸

中国大陸ではこの100年余の間に、さまざまな旗が入れ替わりました。清国、中華民国、そして現在の中華人民共和国の国旗を主なものとして挙げておきましょう。


清国の国旗。1900年、現地公館から外務省に報告された公文書による(国立公文書館蔵)。
1636~1912年まで続いた王朝だが、いつ国旗が制定されたかは不明。

中華民国の「青天白日満地紅旗」。今は台湾、澎湖島、金門、馬祖、そして南沙諸島最大の太平島にのみ、国旗として掲揚されている

中国の「五星紅旗」  

「満州国」の国旗

現在は台湾の統治下にある範囲でしか掲揚されていません。すなわち、西は金門・馬祖の両島(福建省)、海峡地域では澎湖諸島、南は南沙(スプラトリー)諸島最大の太平島(高雄市に所属)、そして台湾本島だけで掲げられている旗です。しかし、かつては中国大陸全土に翻っていた国旗です。

この旗のもとになった「青天白日旗」は、1919年に成立した中国国民党の党旗でした。同党の前身である中国革命同盟会の旗として、陸皓東が日清戦争の前年1893年にデザインしたものです。

1906年に孫文はそれを中華民国の国旗として採用しようとしましたが、黄興が「日の丸」との類似性と、「青天白日旗」では色の鮮やかさに欠け、力強くないと指摘し、これを受けて張永福の妻が構想していた国旗案のひとつを参考に、孫文が赤地を加えて「青天白日満地紅旗」として完成させたものです。

2016年1月の総統選挙で野党・民進党の蔡英文が圧勝しました。蔡は対中政策について「現状維持」で行くと述べています。これすなわち「今まで以上に対中接近はしない。中国とは一定の距離を保ちつつ、アメリカや日本と協調して台湾の主体性を保つ」という意味でしょう。万一、「青天白日満地紅旗」が消えるようなことがあっては、それは日本の国益に致命的な損失となることを私たちもきちんと理解しておくべきだと考えます。

一方、現在中国全土に翻っているのは「五星紅旗」。デザインしたのは49年7月、中国人民政治協商会議が行った公募に応じた経済学者で芸術家でもある曾聯松。曾は抗日救亡連合会に参加し、後には上海市の政治協商会議の常任委員を務めました。原案では、今の国旗の大きな星の部分に、ソ連の国旗にあった槌と鎌のマークがありました。

同年10月1日の中華人民共和国の建国に際し、天安門広場でにこの旗が新中国の国旗として劇的に掲げられたものです。大きな星は中国共産党の指導力を、4つの小さな星はそのもとに結集する労働者・農民・小資産階級・愛国的資本家の4階級を表しています。小さな星の頂点は全て大きな星の中心に向いており、これはあらゆる階層の人民が共産党の下に団結することを象徴しています。

ただ、内外のメディアの報道によると、中国では中央・地方を問わず共産党や行政府の腐敗・汚職が普遍化したまま、政治や行政が権力を振るい、これに抵抗する民衆の抗議行動も盛んで、「バブル崩壊」に似た経済の混乱もあり、国旗のめざす党の指導力や国民の団結は容易ではない状況に立ち至っているようです。まさに格差社会、国旗の掲げる理想と現実にはかなりの乖離があるようです。

「満州国」の「国旗」は32年に、「青天白日満地紅旗」が28年に中華民国の国旗として採択されるまで用いられた同国の国旗をベースに、満、華、日、鮮、蒙の五族共和と王道楽土を象徴するデザインのものとして採択された。当時の独立国の約3分の1により承認されたが、米英仏などからは企業の進出などはあったにせよ、国家としての承認は行われず、「満州国」は45年8月、日ソ中立条約を破ったソ連軍による侵攻を受け、崩壊したのでした。

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