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歴史的経緯で似るものと偶然似たもの

「フランスとイタリアの国旗はよく似ているね」と幼稚園生のわが孫に言われたことがあります。孫自慢が許されるなら、この5歳児、門前の小僧ゆえ、30カ国ぐらいは識別できるようです。そこで、「よく気が付いたね。歴史的につながりがあるからだよ」と、一席ぶとうと思いましたが、人を見ないで法を解くのはいけません。あっさり、プラレールに逃げられてしまいました。

感心なことに1年生のお兄ちゃんは「ロシアとブルガリアもそうだよね」。これまた50カ国以上の国旗を知っていそうです。学研の「国旗かるた」で覚えるのです。

「イタリアの旗に紋章が付くとメキシコ、オランダの旗に紋章が付くとパラグアイなんだよね」と私が付け加えたかったが、「人を見て法を説くべし」、ここは堪えました。

閑話休題。国旗には、しばしば歴史的経緯からデザインが決まった例があります。イタリアの国旗はナポレオン・ボナパルトが1976年、イタリア地方に遠征した時、言うならば「与えた旗」。四分五烈していたイタリア半島を武力で1つにした時に、「わが仏(フランス)三色旗にならい、諸君は緑白赤の旗にされよ」と。

折から、オペラの大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)の絶頂期。

畏友「うーろん亭茶太郎」洗足音大非常勤講師によれば、「オペラとは山緑がはじめて緑が完成したもの」とか。クラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643)とヴェルディのことです。なるほどと感心したところで、話をヴェルディに戻します。

祖国への愛を高らかに歌う『レニャーノの戦い』が1849年1月27日ローマで初演されました。実は、Viva Vittorio Emanuele Re D’Italia(イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ万歳)を略すと「Viva VERDI」(ヴェルディ万歳)となります。これを知る観劇者たちは興奮して「イタリア万歳」とともに「ヴェルディ万歳」を叫び、この作曲家をイタリア統一の象徴的存在とみなし、時代の寵児に押し上げました。

イタリア王国という不完全ながらも一応の統一国家が出来たのは1861年。カルボナリの先駆的活動、サルデーニャ王カルロ・アルベルトの崛起、オーストリアの老将ラデツキー(その名の行進曲は今や世界中でニューイア・コンサートのテーマ曲)の死、カブール首相の智略、フランスの交換を得ようとクリミア戦争で先陣を務めたサルデーニャ将兵、皇帝ルイ・ナポレオンの強力な支援、ガリバルディ指揮する千人隊の行動などが重なってオーストリアとの激戦で勝ちを得ました。

ブルガリアの国旗もこの国が78年の露土戦争でオスマントルコから独立したときに、明らかにロシア国旗の影響を受けてできたデザイン。在京大使にそう言ったら、今やEUにもNATOにも入ったブルガリア、簡単には納得しませんでしたが、冷静時代の在京大使ははっきりと「ブルガリア建国当時、ロシアの世話になりましたからその友好・協力関係の象徴です」と説明していたのです。冷戦時代、この国旗に赤い星、歯車、麦の穂など、いかにも共産圏という紋章が付いていました。

この4つの国旗は合わせて記憶するといいように思います。


フランスの国旗

イタリアの国旗

ロシアの国旗

ブルガリアの国旗

パラグアイの国旗は裏表の紋章が異なるという珍しい国旗ですが、これを付けないとオランダと同じになるし、メキシコの国旗は「鷲が蛇をくわえてサボテンに停まっているのを見たらそこに都を築け」という神話に由来する紋章がなければ、イタリアの国旗と同じになるため、紋章の削除は国内でもまずないと13年間かの国に滞在していた女性が言っていました。また、孫の話に戻りそうですから、ここまでにしましょう。

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