オリンピックまでに国旗に親しもう
国旗についてのお話
STORY

タンザニアもザンジバルとの合作で

複数の国が合併して国旗も合体した例はほかにもあります。東アフリカのタンザニアとザンジバルです。19世紀末の列強によるアフリカ分割が進む中、ザンジバルの領土は帝政ドイツと英国によって分割され、1890年に英国の保護領となりました。しかし、96年、スルタンの甥ハリド・ビン・バルガシュが王位を奪いました。これに対し、英国はハリドの退位要求、拒否の回答に駐留英国艦隊は艦砲射撃で応え、わずか37分23秒で宮殿は破壊され、ハリドは対岸のドイツ領タンガニーカに亡命したのです。ちなみに、この英ザンジバル戦争は「世界史上、最短時間で決着した戦争」としてかの「ギネスブック」に登録されています。第一次世界大戦で敗れたドイツは海外領土をすべて失いました。

70年近くを経て、東京五輪の前年、1963年12月10日にザンジバルはアラブ系のスルタンを元首とするザンジバル王国として独立したのですが、わずか3週間でアフリカ人がクーデタを起こし、ザンジバル人民共和国となりました。これも世界最短記録の独立王国と言えましょう。結局、同年4月に西側諸国の支持を得て、3か月後の4月にニエレレ大統領のタンガニーカと合併してタンガニーカ・ザンジバル連合共和国となり、同年10月29日、この名称とかつてこの地域で栄えたアザニア文化の名称を複合し、タンザニア連合共和国と改称し、国旗も統合したのでした。

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