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吉川晴帆画伯、西蔵(チベット)の国旗も紹介

チベットの国旗は1912年、ダライ・ラマ12世により採択されたものです。チベットに仏教の修行に出かけていた青木文教修学僧がデザインに協力したことが、青木の『祕密之國 西藏遊記]』(内外出版、1920年)に記されています。

先に取り上げた『萬國旗 附軍艦旗・商船旗』(以下、萬國旗)という38年発行本にはチベットの国旗が堂々と紹介されています。2008年3月に吉川晴帆について教えてほしいとHPで呼びかけたところ、稲垣次郎さまという方から、ご教示いただきました。稲垣氏は晴帆の静物スケッチ帳を所有しているのだそうです。「彼の写真や関根正二からの葉書、伊東深水らとの寄せ書きスケッチなどです。現在は静物スケッチ帳しか持っていません」ということですが、かなりの画家だったようです。

この『萬國旗』に、チベットは「西蔵」として、その国旗が掲載されているのです。

現在、中国の武力支配による人権抑圧に抗議している人たちが掲げているのはまさにこの旗なのです。私もまた中国政府の「人を人と思わない」「国を国と思わない」政策に、断固反対してきましたし、それ以来、最長不倒著者である『現代用語の基礎知識』ではできるだけ、チベットの国旗を掲載しています。

それはともかく、『萬國旗』の中で晴帆は、タイ、ビルマ、インド、ネパール、ブータンの次にチベットの国旗を紹介しています。そして、同書はチベットに続けてアフガニスタン、イラン、オマーン、クエートの順で各国旗を紹介しているのです。


チベットの国旗

もちろん、この本に出ているから独立国だというほど話は単純ではありません。現に、晴帆も序文で「独立国は勿論のことではあるが、半独立国其他でも我国より見て知るを便利と思はれた所は掲げることにした」と断っています。

しかし、この並び方をみると、少なくとも当時、中国の支配を受けている地域という扱いではありませんね。

ところで、この旗について吉川は、日本の軍旗よりヒントを得たもので、これにチベットのシンボルであるところの日(月は省略してある)と獅子とヒマラヤ山(雪山)と菊花形、ダイヤモンド、そのの他を取り入れたものである。元来、仏の予言によって成った国といわれるだけに仏に関する材料が多いわけで、日は世の光、唐獅子は仏の獅子吼を語るもの、菊花はこの国の国花とも言われています。

チベットは本来、アジアの1つの独立国でした。2008年、北京オリンピックを前にした4月に長野市で行われたの「聖火リレー」。「帰国ビザ」発給の可否までちらつかせて留学生を動員し、長野の大通りを中国の「五星紅旗」で埋め尽くしました。もしこのときに、少なくとも日中両国の国旗と五輪旗が掲げていたらどんなによかったかと思うと、中国のために惜しみます。あれから8年、中国の人権問題は改善したのでしょうか、疑問です。

『萬國旗』の中で晴帆は、タイ、ビルマ、インド、ネパール、ブータンの次にチベットの国旗を紹介し、この記事の末尾のように述べています。そして、同書は続けてアフガニスタン、イラン、オマーン、クエートの順で各国旗を紹介しているのです。もちろん、この本に出ているから独立国だというほど話は単純ではありません。現に、吉川も序文で「独立国は勿論のことではあるが、半独立国其他でも我国より見て知るを便利と思はれた所は掲げることにした」と断っています。しかし、この並び方をみると、少なくとも当時、中国の支配を受けている地域という扱いではありません。

筆者は、1951年、「人民解放軍」なる名前とはまるでかけ離れた軍事力による侵略を受け、独立を奪われ続けてきたたチベットの人々に対し、衷心より同情申し上げ、中国政府の人権抑圧に強く抗議する者です。

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