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日本でも最初は「日の丸に横一」の博愛社だった

日本でも最初は「日の丸に横一」の博愛社だった

実は、日本も、赤十字のマークをすんなり受け入れた国ではありませんでした。1877(明治10)年、西南戦争のときに、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らによって創設された組織に、当初は赤十字社と名付けようとしたのですが、三条実美太政大臣が「十字は耶蘇(やそ・キキスト教)のしるじゃ。まずい」と言ったため、やむなく「博愛社」という名前にし、マークは「日の丸」の下に赤で横線を引いたものになりました。

三条太政大臣にとっては、博愛社の規則第4条に、「敵味方の区別なく救う」という味の規定があり、これが広く理解されないだろうということもあったようです。

博愛社は、その後しばらくはあまり活発に活動していませんでしたが、鹿鳴館時代という欧米模倣という流れの中で、約10年後、日本赤十字社(日赤)となり、磐梯山噴火(1888)や三陸津波(1896)、日清・日露戦争など、そのあとは大活躍をしました。

21世紀の今、「耶蘇のしるしじゃ」から始まった日赤は国際赤十字の中心的な位置を占め、近衞忠煇(ただてる)日赤社長は2010年に、国際赤十字赤新月社連盟の会長となり、東奔西走、世界各地で活躍しています。

もうひとつ、特別のことを伝えましょうね。5月8日の「世界赤十字デー」は創立者デュナンの誕生日記念したもの。そしてまた偶然にも、近衞社長の誕生日でもあるのです。


佐野常民

大給恒

三条実美
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