2020年の東京オリンピックまでに変わりそうな国旗がいくつかあります。
フィジー、ネパール、イラク、エジプトの国旗は、もしかして、変更になるかもしれません。フィリピンについては次の章で詳しく述べます。まず、政局激動のフィジーの場合で政治の変化と国旗の関係を少し詳しく見てみましょう。
南太平洋に浮かぶフィジー、昔からの島民と英国の植民地政策でインドから渡来した人たちとの対立に加え、軍と民との抗争、英国との関係をめぐる意見の対立、それに新太平洋諸国派と対中シンパなどが複雑に絡んで、政局は多端であり、国旗は揺れています。
フィジーの国旗
英国から独立以前のフィジーの旗
新しいフィジーの国旗案
現在のフィジーの国旗は1970年の独立以来の左上(カントン)に英国旗、右側にヤシの木などがデザインされた盾が描かれているものです。
国名は変わりました。98年に正式な呼称がフィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称したのです。しかし、2011年2月に再びフィジー共和国へと戻りました。この間、国旗の変更も模索されましたが決まりませんでした。それが、ここにきて改定の可能性がかなり高まってきています。
フィジーの島々は1643年にオランダの探検家タスマンが「発見」し、次いで、1774年、イギリスのクックが上陸し、その100年後、この地がイギリスの植民地となりました。ところがこの後、イギリスは第一次世界大戦のころまで、砂糖のプランテーション経営のため大勢のインド人を移住させ、フィジー社会の民族構成を激変させ、かつ複雑化させたのです。
伝統的フィジー系の人たちは1913年、民族運動を開始しましたが、独立までにはその後50年もかかり、70年、英国女王を君主とする王国という形の英(コモン)連邦(ウェルス)の一員としての独立でした。ところが政治は一向に安定しないまま、87年、ランブカ陸軍中佐がクーデタを起こし、10月に共和国宣言をし、英連邦を離脱しました。
3年後の90年、フィジー系が主体になって憲法が公布され、そして、97年、これをさらに改正。英連邦に復帰しました。英連邦離脱は10年に及びました。その間も「ユニオン・ジャック」をカントンにのこした国旗のままでした。
翌98年、国名をフィジー諸島共和国に変更したので、いよいよ国旗を変更するかと注目したところ、諸案が出されたものの成立には至りませんでした。これで決着か、政局は安定するのかと思ったのですが、いやいやどうして、むしろこれからが大変でした。
99年5月の総選挙でインド系のチョードリーが首相に就任。労働党を中心とする初の政権誕生となりました。ところがちょうど1年後、一部の部隊がこの首相を人質に国会議事堂を2カ月間占拠し、軍が戒厳令を発令、7月、フィジー人であるガラセを首班とする文民暫定政権を発足させ、翌2001年9月の総選挙を経て、そのガラセが首相に就任し、5年後にも再任され、今度こそは安定するかと期待を集めたのでした。
ところが06年12月、今度はバイニマラマ軍司令官がクーデタを起こし、またまた軍事政権となったのです。しかし、これは国際社会から厳しく糾弾され、ニュージーランド、オーストラリア、EUなどが援助停止や入国禁止などの圧力を加え、外交代表を相互に引揚げるなどしたのです。フィジーでは検閲を強化し、外国人記者らを国外退去させることなどもしました。他方、国内にはかつてのように英国王(女王)を元首に戴く立憲君主制へ復帰すべきであるという意見も根強いのです。
加えて、南太平洋諸国に進出を図る中国が、フィジーをその拠点としようと、援助を急増させ接近を図るという事態となり、混迷のフィジー政局は当面安定しそうにありません。
総人口に占めるインド人の割合はかつて半数以上を占めていたこともあったのですが、それがこの10数年で36㌫まで落ち込んだことも経済・社会の低迷につながっています。
09年4月9日に高裁が軍事政権を違法と判断、翌10日にイロイロ大統領が憲法を廃止し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に就任させました。同大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、同軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を14年に先送りしたのですが、太平洋諸島フォーラムや英連邦が、民主的選挙が行われていないという理由で、フィジーのメンバー資格を停止しました。7月、同大統領が健康上の理由から退任し、ナイラティカウ副大統領が昇格しました。
ようやく落ち着き出したのは14年9月の議会議員選挙でバイニマラマ暫定首相のフィジーファースト党が圧勝、民政復帰となり、フィジーは英連邦に復帰しました。
現地メディアが報じたところによると、バイニマラマ首相は15年2月3日、「ユニオン・ジャック」が描かれている現在の国旗は「英植民地時代の名残で時代遅れ」と批判し、変更すると表明しました。同首相は全国的に公募し、「真の独立国家の象徴」となる新国旗を選定すると説明し、23案を検討し、同年10月10日の45回目の独立記念式典で新国旗を掲げる方針でしたが、かないませんでした。
国旗は独立以来「ユニオン・ジャック」をカントンに配した水色の地に紋章を付したものですが、2005年11月には議会で国旗に描かれている国章(サトウキビ、バナナ、ハト、ヤシの木など)を独立前の紋章に戻すべきだとの決議がなされています。古い紋章の旗に戻すべきか、国のイメージを一新する明るい青で貝を描いたデザインにするかなど、議論は錯綜しているようです。
Fiji Times紙が調査会社と共同でランダムに選んだ1,052人から意見を聴取した結果、86%が国旗の変更の可否を問う国民投票が望ましいと回答する一方、現在のデザインを変更しなくてもよいという回答が53%あったと報じました。バイニマラマ首相も23のデザインに不満があるなら新しい案を示すべきだと発言しつつも、いまだまとまっていないようです。在日大使館には何度か問い合わせているのですが、「近く変更になると聞いている」というだけで、2016年3月現在、従来のままになっています。
私は『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の「最長不倒著者」です。50余年前から、その国旗の図表に関わっています。毎年、国が増えたり、合併したり、国旗を変更したりという国がいくつかありますから、編集者も私も印刷直前まではらはらどきどきです。世界情勢は多事多端、せめて国旗の変更が血の争いの結果ではないことを祈るのみです。