創価学会の公式HPによると、同学会の三色旗(1968年~)は1988年4月の第1回全国婦人部幹部会の席上、池田大作現名誉会長からの提案を受けて作られたものだそうです。赤は勝利、黄は栄光、青は平和を象徴しています。この他、婦人部では、赤は和楽、黄は求道、青は福運。聖教新聞では、赤は太陽、 黄は知性、青は広宣流布などの意味を持っていると説明しています。。正式には中央に紋章のような輪のような、日蓮由来の「八葉蓮華」が付くものです。
ルーマニア(1878年~)
チャド(1960年~)
モルドバ(1990年~)
アンドラ(1866年~)
ルーマニア、チャド、モルドバ、アンドラの4カ国の国旗は、青黄赤の縦三色旗。もとをただせばフランスのトリコロールの影響です。こんなに似た旗が並ぶと「青巻紙黄巻紙赤巻紙」の早口言葉を思い出してしまいます。
ルーマニアはバルカン半島とその周辺がスラブ系の住民である中で唯一のラテン系。ローマ帝国が版図を広げたところで残されたことから国名もローマに由来し、1878年に独立したときに国旗はラテンの盟主・フランスの国旗にあやかったのでした。ローマがそんなに遠くまで? その気持ちはわかります。しかし、史実としてあのあたりはローマ帝国の外辺であり、ロシア国民学派五人組の巨匠とされるニコライ・リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」や「モーツアルトとサリエリ」などの作曲者)はその名も「ローマ人コルサコフ」です。今のロシアの文化の中にも、古代ギリシャやローマに由来するものがたくさんあります。
チャドが1960年の「アフリカの年」に独立したとき、ルーマニアの国旗は東側の一員としての麦の穂、油井、赤い星などの国章が付いていましたから、チャドは独自の国旗を採択したはずでした。しかし、89年、チャウシェスクを追い込んだ革命で、市民はその国章を切り抜いた国旗を掲げました。それで同じようなデザインになってしまったのです。
モルドバはかつてルーマニアと同一の国だったこともあるし、将来も合併するかもしれない国です。ですから、いわばルーマニアの国旗に独自の紋章を付けたというデザインです。ピレネー山脈に位置する極小国アンドラはフランスとスペインの共同管理のような国です。ですから、両国の国旗を合体した形で、今のデザインになりました。
小学生を前に国旗の話をすると、トルコとチュニジアの国旗の違いでまごつく児童が結構います。無理もないですよね。こんなに似ているんですから。
ところで、このクレッセント、1529年にスレイマン1世率いるオスマントルコ軍が、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の2016年1月に伊勢神宮前の 本拠地ウィーンを取り囲みました(第一次ウィーン包囲戦)。
創価学会平和文化会館前で撮影。
トルコの国旗
チュニジアの国旗
包囲は2カ月近くに亘りましたが、てオーストリア軍が頑強に抵抗し、ウィーンはこれを耐え抜きました。これを祝って、トルコ国旗にある三日月の形のパン(クロワッサン)を作って勝利を祝ったという、言い伝えがあります。