オリンピックまでに国旗に親しもう
国旗についてのお話
STORY

「国旗」を掲げ、独立国とは言うけれど

しかし、世界は広く、公海上に自分で新しい島を作って独立宣言し、国旗や国歌を揃えれば税金も払わなくて済むし、自分が王様や大統領みたいになれるんだとばかり、「国づくり」を実行した人たちがいます。 多くは継続できずに海没したり、破壊されたりしましたが、今でもとにかく存在しているのは、シーランド公国です。1967年、イギリス南東部のサフォーク州の10キロメートル沖合いに戦時中に造られた207平方メートルの人工の島を勝手に領土と主張し、バチカンよりも小さい世界最小の国家と称しているのです。

海洋法に関する国際連合条約は「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあり、継続的な経済活動を行っているもの」としている。このため自然に形成された陸地ではないシーランドは「島」ではないため、国家成立の大きな要件を欠いているとされ、もちろん、この「国」を承認している国はありません。ただし、この構造物は未だ存在してはいるのです。

イギリスは第二次世界大戦中、ドイツに対する防衛拠点として、このシーランドはじめフォート・ラフスなど4つの海上要塞を構築し、海軍の将兵300人近くが駐留していたこともあります。終戦に伴い要塞は放棄されていたのですが、67年9月2日に元イギリス陸軍少佐パディ・R・ベーツが英国の領海外に残骸のまま残っていたこの元要塞を占拠し、シーランド公国の名で独立宣言を発表したのです。もともと海賊放送をしていた人ですから、権力の及ばないところで自由に放送ができると、活動拠点を移したのでした。

公国と称するだけあって、自らをベーツ公と名乗り、国旗を採択し、パスポートも作りました。さらに、ガードマン、もといライフル銃を構えた兵士1名を巡回させ「国土」の防衛に当たらせていました。切手もあります。シーランド騎士団という実体のない名目的組織の爵位を販売するなどして、財政の維持にあたりました。タレントで元参議院議員の西川きよしはじめ、日本人でもこの国の「卿(ロード)」を名乗る人が出ています。


シーランド「公国」の「国旗」

英国政府は早々に裁判で立ち退かせようとしたのですが、翌年11月の判決では、この「公国」が英国の領海外であり、司法は及ばないと、実質的にベーツ「公」が勝訴しました。

類は友を呼ぶと言いますか、そこへもう一人、少々変わった人が出てきました。78年に、ベーツ「公」がカジノの開設を企図し、西ドイツの投資家A・アーヘンバッハを「首相」に任命したのです。ところが、この男がモーターボートやヘリコプターで「公国」を急襲して当時のマイケル・ベーツ「公子」を人質に取り、父「公」を「国」外追放にしたのです。ところが、シーランド「公国」の「国旗」 今度はベーツ「公」が20名ほどの仲間を募ってヘリコプターで逆襲を決行し、「ア」は「公」により「国民」として反逆罪に問われ投獄され、7万5千マルク(当時約500万円)の罰金を命じられたのです。

ここからさらに話がややこしくなります。

西ドイツは邦人保護の観点から英国に自国民である「ア」らの解放求めました。しかし、英国政府は先の司法判断に従いシーランドには関知しないと断りました。やむなく西独政府はシーランド「公国」へ駐英大使館の外交官を派遣して交渉、「ア」らを解放させたのです。ヨーロッパの主要国から外交官が派遣されるという新たな事態に、ベーツ「公」は自国が西独によりde facto(事実上)の承認を受けたものと喜びました。ドイツに戻った「ア」らはシーランド公国亡命政府の樹立を宣言しました。「ア」は枢密院議長を名乗っていましたが、89年、健康上の理由から引退すると、J・ザイガーが亡命政府の首相兼枢密院議長として後を継いだのでした。90年には、この亡命政府が独自硬貨の発行を行っています。

こうした動きに世界が呆れている中、2006年6月23日、ベーツ「公」支配の「公国」で老朽化した発電機から火災が発生し「公国」が半焼。国外で暮らしていたベーツは無事で、2日後、「公国」に戻り、私財を投じて「国土」の再建を図り、復興を達成しました。

ベーツ「公」は、12年10月に91歳で逝去、「公子」のマイケルが「公位」を継ぎ、2代目のシーランド「公」となりましたが、所詮、世間も今では「大人の遊び」か、「金持ちの道楽」の程度の評価しかしていません。国旗があってもそれだけで独立国ではない典型です。お笑いください。