中南米の多くの国のシンボルとなっている「自由の帽子」が掲げられています。この帽子の起源はフリギア(フリジア。古代トルコの内陸地方)とされていますが、 古代ローマでは、解放された奴隷が被るものとして用いられていました。
ドラクロア「民衆を導く自由の女神」
このいわれから1789年のフランス大革命ではサン・キュロット(革命を推進した手工業者、職人、小店主、賃金労働者などの無産市民。しばしば半ズボン(サンキュロット)を着用していた)の象徴として被ったのでした。これらの人々に「革命精神」を知らせるため、「フリジア帽と三色旗(トリコロール)」や「フリジア帽を被り、杖を持つ自由の女神」などの意匠が考案され、それがいまでも中南米の国旗や国章に生かされているのです。
1830年のフランス「7月革命」を描いたウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」。この有名な絵では自由の女神がフリギア帽を被っています。そしてこれ時代から、フリギア帽を被った女神マリアンヌがフランス象徴となりましたし、中南米諸国の多くはそのころ相次いで独立したのです。
ニカラグアの国旗と国章。中央が「自由の帽子」
「自由の帽子」は中南米の国旗(ニカラグア、エルサルバドル、ハイチ、ボリビア)や国章(キューバ、アルゼンチンなど)にはとても多く用いられています。19世紀から20世紀の初めにかけて独立した中南米に、自由、平等、博愛を掲げたフランスの影響力がいかに大きかったかを見る思いです。