1859年6月24日に北イタリアのソルフェリーノで19世紀屈指の激戦が行われました。サルデーニアとこれを支援するルイ・ナポレオン麾下(きか)のフランス軍、対するはフランツ・ヨーゼフ率いるオーストリア・ハンガリー帝国軍。死傷者4万人を数えました。この時、隣接するカスティリオーネでスイス人青年アンリ・デュナンが敵味方の区別なく負傷兵の救護に当たったことが、国際赤十字創立の濫觴(らんしょう)となりました。ちなみに、あまり一般的ではありませんが、この後、イタリア語でソルフェリーノとは血の色のことを言うようになりました。他方、この戦いと同じ月4日に行われたマジェンタの戦いも熾烈でした。マジェンタの色(濃いピンクないし紅紫)も赤の1つで、この年に発明された染料にマジェンタという名前がつけられたのでした。
国際救援組織が63年にに発足したとき、デュナンの祖国であり、赤十字の創設に支援したスイスの国旗の色を逆にした標章(エンブレム)が採択されたのでした。ところが、キリスト教国だけだった国際赤十字に、トルコだ、ペルシャだとが加盟し、組織が拡大されようとする中で、「十字」が忌避され、今日、この国際組織は3つの標章を公認するというややこしさのままになっています。
スイス国旗と赤十字
トルコ国旗と赤新月
イスラエル国旗とレッドクリスタル
クロワッサン(フランス語でcroissant)は三日月のこと。16世紀、トルコ軍に包囲されたウィーンが苦難の日々から解放されたとき、トルコ国旗のデザインである三日月型のパンを焼いて食べ、うっぷんを晴らしたという言い伝えもあります。
赤十字の発足当時は加盟国がいずれもキリスト教国でしたから十字の形でよかったのですが、トルコが加盟するに際して赤新月 Red Crescent とし、シーア派主体のイランの加盟に際し、当時のイラン国旗の中央にあった赤獅子太陽 Red Lion & Sun を標章として採択し、後者は1979年のホメイニ師らによるイラン革命で帝政が倒れるまで、国際赤十字に公認され、使用されていました。
1979年のホメイニ師らによる帝政打倒(イラン革命)までの帝政イランの国旗と赤獅子大洋の社の標章