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国旗に言葉を入れるのはラテン文化とイスラム系

ヨーロッパの国旗では、スペインの国旗にラテン語で「PLVS VLTRA(より彼方へ)」と記されています。ちなみに、15世紀末の新大陸発見までは「NON PLUS ULTRA(ここは世界の果て)」と記されていました。また、最古の共和国サンマリノの国旗には、この国の憲法に何度も出てくる「自由」(イタリア語でLIBERTAS)」とあり、地中海に浮かぶマルタの国旗には英語で「FOR GALLANTRY(勇気を称えて)」と書いたガーター勲章(聖ジョージ勲章)が見られます。第2次世界大戦時、英軍反攻の根拠地となり、ドイツと果敢に戦ったことを称えての受章です。

イスラム諸国の国旗では何といってもサウジアラビア国旗に大きく書かれている信仰告白(シャハーダ)、つまり『コーラン(クァラーン)』冒頭の句「アラーのほかに神はなくムハンマドはアラーの預言者(使徒)なり」が目につきます。これを誠実に唱えるだけで、イスラム教徒(ムスリム)であると認められるという大事な言葉です。

同じ言葉がアフガニスタンの国旗の中央上部にあります。この国の国旗はたびたび変更になりましたが、2004年1月に王政時代(1930~73)の国旗にそのシャハーダを加えたものが現在の国旗です。一時はモハメッド・ザヒル・シャー元国王が復帰するかとも思われました。この人は73年、病気療養のためにローマに滞在中、ダーウード元首相によるクーデタで王位を廃され、帰国することなく、イタリアに亡命していました。

1981年末からのソ連のアフガニスタン侵攻に次ぐアフガニスタン内戦では、一部のパシュトゥーン人勢力や国際社会から元国王が和平の中核になることを期待されました。タリバン政権崩壊後の2002年に帰国して「国父」(ババ・エ・ミラート)の称号を贈られ、国旗も王政時代のものに準じるデザインとされましたが、高齢の本人や旧王家の人々が旧体制の復活を求めないということもあり、王政復古するには至りませんでした。

同じようなことが東西冷戦終了後のハンガリーでもありました。1992年にたまたまブダペストの議会を傍聴したとき、元国王の一家が貴賓席に招かれ、もしかして王政復活までいくかと、早とちりの傾向のある私は思ったほどでした。

ヨルダン国旗の星が7稜星なのはさきほどのシャハーダが7音節であることによるそうです。また、イランとイラクの国旗には神を称える「アラー・ホ・アクバル(アラーは偉大なり)」はペルシャ語で描かれています。

ブルネイの国旗の三日月には「神のお導きに従って常に奉仕に尽力する」という国標がアラビア語で記され、その下のリボンには「ブルネイ・ダルエスサラーム(平和の国ブルネイ)」という国名が見られます。

日本の国旗はもとより、イスラム圏を除くとアジアの国旗には国標や経文などは見られません。好き嫌いでいうのもなんですが、そんなことはありえないでしょうが、もし、万が一、信玄の「風林火山」、家康の「厭離(えんり)穢土(えど)欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)」は戦国時代に幟に描かれて戦場に問題持ち込まれました。孫文の「三民主義」、毛沢東の「造反有理」、マルクスの「万国の労働者よ団結せよ」、戦前の「八紘一宇」などなど、それぞれはあるいは意義ある言葉かもしれませんが、そうした言葉を国旗に描くということがないことに、ほっとする思いがするのです。

言葉を国旗に描いて伝えるよりも、デザインでそれを感じさせる、例えば、自由、平等、博愛のフランス三色旗のほうがむしろ奥が深いように、私は思います。

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