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昔の国旗に戻る例も

新しい国をつくろうとすると、まずは国旗が必需品と考えるようです。そうだとすれば、国旗があれば独立国となる「とは言えません」と言っておかねばなりません。国があって国旗のない例はありませんが、この章で述べるように、国旗はあれど国がないのはいろいろあります。また、国滅んで山河と国旗だけが残る例もたいろいろあります。中華民国の「青天白日満地紅旗」のように、全土に翻っていた旗が、台湾島ほかでのみ使用する旗になった例もあります。ライオンと太陽というムガール帝国の国旗や龍と太陽という清国の国旗ように、既に消滅はしましたが、力強いデザインの国旗もあります。

さらにまた、国旗としての地位を失った旗が再び国旗になるケースもたくさんあります。

ナポレオンが掲げた青白赤の縦三色旗はウィーン会議での王政復古で潰えましたが、1830年の7月革命で15年ぶりに復活し、今日に至っています。ドイツは第一次世界大戦後のワイマール共和国の国旗である黒赤金の横三色旗がナチスの滅亡とともに復活しました。1991年のソ連崩壊で、帝政ロシアの白青赤の横三色旗がロシア連邦の国旗として生き返りました。


リビアの国旗。1951年の王朝時代と2011年以降。

カダフィが王政を倒した69年から72年まで。

     


72~78年はエジプト、シリアと同じ。

77~2011年までの国旗。

最近では、リビアの国旗もカダフィ(カッザーフィー)時代の緑一色から、2011年のリビア内戦を経て、王政時代の4色の国旗に戻りました。1972年、エジプト、シリアとともにアラブ共和国連邦となり、国旗も同じものになりましたが、なかなかうまくゆかず、77年3月に連邦は解体しました。カダフィは国名を「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」という長い名前に変更しました。ところがこの年の11月11日、エジプトのサダト大統領が同月19日に「宿敵」イスラエルを訪問すると発表したことに激怒、一夜にして国旗を総緑一色という世界で最も単純なデザインの国旗に変更したのでした。緑色はイスラムの開祖ムハンマドのターバンの色とされ、イスラム世界では最高の色とされている者です。また、カダフィは75年に出版した『緑の書』を出版し、人民主権、イスラム社会主義など自身の政治哲学示し、イスラム社会主義と人民革命の決意を表したのです。緑一色の国旗は「緑色革命」を象徴すると発表されました。

2010年にチュニジアで始まった「ジャスミン革命」は翌年「アラブの春」となってリビアをはじめ、アラブ諸国に飛び火しました。カダフィは11年8月24日、公邸から脱出、10月20日、殺害された。

国旗が無地というのはかなり珍しく、有名なのはブルボン王朝の復古成った時代のフランス王国(1814~30)は白一色、1880年から11年間続いたアフガニスタン首長国国旗(総黒一色)などないわけではありません。最近では、1996年から翌年にかけてアフガニスタンのタリバン政権は白一色の旗でしたが、その後4年ほどはそれに黒でシャハーダを大きく書いた旗におなりました。

アフガニスタンの国旗はソ連軍の侵攻で潰えた王政時代ものが21世紀になって紋章の上に聖句を加えた形で復活しました。カンボジアも1970年にシアヌーク国家元首が追放されるまでの国旗が、90年代の初めに復活しました。

ほかにも、ガーナ、ハイチ、ベナン、マラウイなど昔の国旗が復活したケースはいくつかあります。


1957年の独立以来のガーナの国旗。1966年に復活。

1964年から約2年間のガーナの国旗。

     


1959年からのダオメ(現ベナン)の国旗。1990年に復活。

1975年から約15年間のベナンの国旗。

カーナは老生の世代には野口英世が文字通り命がけで黄熱病を研究した場所として知られ、中年の人たちには第7代国連事務総長で2001年のノーベル平和賞受賞者コフィ・アナンの名で知られ、若い世代には元ガーナサッカー協会長のニャホ・ニャホ=タマクローが有名かもしれません。

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